経営者になって「その人が居る大切さ」が見えてきた。 APEX/貴島博幸社長【バトン -事業承継の形-】


前回はどんどん社員に事業を任せていきたいというAPEXの堀切会長の話を伺いましたが、今回は受け継いだ側の貴島博幸社長にお話を伺いました。
貴島社長はAPEX起業時のメンバーで常に堀切会長を後ろから支える存在だったといいます。
そんな貴島社長に経営者という立場を受け継いだ時の気持ちや腹を括った瞬間の話を伺いました。

_DSC0019_01

−貴島社長は創業からのメンバーだったんですよね。
貴島:そうですね、起業が2002年ですからちょうど10年目に事業承継したことになります。
2002年に起業しまして、その当時は社員も何人かいて、堀切の後を継ぐ候補は私を含めて何名かいたのですが、2006年あたりにそれぞれ分かれてやっていこうと言う事になり、二人になってしまいました。

−会社を任された経緯はどういう感じなのでしょうか。
貴島:創業時から堀切の方から、最終的には一人ひとりに1つずつ事業を任せていく、という話はあったんですよね。
その時はひとつの教室を任されるのかなという程度だったのですが、色々その頃から経費のことを見なくてはいけないという事で、月次を作ったり準備などはしていて。
ところが2006年にその他の社員と別れてやっていく事になったため、実際自分しかいなくなってしまったと(笑)。

−経営者になるまでに、腹をくくった瞬間というのはありますか。
貴島:腹をくくった瞬間というのは何回かあります。
最初は前にいた職場を辞めて、堀切といっしょにやろうと思った2002年です。
実は堀切は前の職場を私よりも先に辞めていまして。
辞めたという話を聞いて、ああ、堀切が辞めるなら僕もやめよう、と思って辞めました。
その時の決断は早かったですね。今はそんなに早くないですが(笑)。

−お幾つだったんですか。
貴島:三十歳で。辞めた所で一緒にやれるという確約をもらっていたわけじゃないんだけど、辞めてしまいました。収入もなくなるわけですし、新しいと言っても全く何もない状態からのスタートです。腹くくりましたね。

−奥さんはすんなりOKしてくれたんですか。
貴島:その時は小さいですがもう子供もいましたし、普通だったら「何なのいきなり」ってなるんでしょうか(笑)。
でもそんなことはなかったですね。分かった、って感じで。

−次に腹を括ったのは。
貴島:2006年に会社が分かれた時ですね。
せっかく少し順調になってきた所なのに、生徒の数がガクンと減りました。
そういう意味では色々妻にも心配をかけたと思います。

−堀切会長についていくというのを決めた時は、何か自分の中で確信的なものはあったんでしょうか。

貴島:中学校の時に堀切から習っていた経緯もあり、一緒にやっていけば間違いないというのを思っていましたね。
起業の時に付いていこうと決めた時からその辺はぶれていないですね。

_DSC0025_01

−経営者になって自分の意識として変わった事はありましたか。
貴島:今までは給料を払っていたという立場だったんだけど、それを払う側になったのが大きい変化でした。
それまでは生徒が少なくなったら「給料をもらえないかも知れない」という立場だったのが「給料が払えないかもしれない」という恐怖になるわけですから。
実際業績が良くなくても払わない、というわけには行きませんからね。

−なるほど、実際にお金のことを管理すると違ったものが見えて来たんですね。
貴島:働いている時は23日、24日が楽しみだったのですが、払う立場になるとプレッシャーになりますよね(笑)。
実際大丈夫だとは思っていても資金繰りとキャッシュフローとは別のものですから、物理的に回る事にはなっていても手元に無いという可能性もあるわけで。

−承継してから自分の中でステップアップできた事はありますか?
貴島:やっていく中でいい方に向かっているということが見えると良いのでしょうけど、まだ今のところは不安の方が大きいですね。
やっていく中でいろいろ課題が見えてきます。
堀切のように何年後先を見据えた上で今の仕事を進めるというのは中々難しいです。
とりあえず今は堀切の大きいビジョンに付いていく感じですが、やはり自分なりのビジョンを見つける事ができないと。そうしないと堀切も楽にならないですし。
しかしまだ今は現場の課題に対して色々解決することに追われています。まだまだですね。

−経営者になると、今まで見えなかった会社の色々な部分が見えてくると思いますが。
貴島:人が増えてくると、それをまとめるのは難しいなというのは感じます。
ベクトルが同じ方向を向いている仲間を増やしていくというのは難しいな、と。
それは中でやっていた時には見えなかったことだと思います。
やっぱりそれまでは自由にやっていましたから。

−逆に社員の時に気が付かなかった会社の良い所はありますか。
貴島:社員の時には自分のことしか考えていなかったのですが、経営者になると「その人が居ないと出来ないこと」が見えてきましたね。
みんな気がついていないけど、誰かがやってくれているおかげで回っている仕事がある。
本当に些細な事だったりするんですけど、その人が気をつけてやってくれるおかげで回ってる、そういう事が一歩引いた所から見ることで気がつけるようになりました。

−エイペックスさんの事業承継はかなりスムーズに行ったように見えるのですが、貴島社長から見てなぜだと思いますか。
貴島:堀切はいい意味で「承継者は私しかいなかった」と言ってくれるのですが、実際は物理的に私しかいなかったというのもあるので(笑)、選択肢がなかったというのはスムーズに行く理由の一つだったのかなと。
ですから次回事業を承継する時はちょっと違ってくるかもしれませんね。
私の後の社長までは堀切が決めるのですが、その次は私が決めることになっています。その時の承継をどうしよう、というのはありますね。
もちろん今は選択肢がないという状態なので、それを見つけていかなくてはいけないという段階ですが。

−今後の事業承継の予定が立っているのは凄いですね。
貴島:そうですね。一応10年毎に、という事になっています。
堀切が10年やって、次の10年は私、その次も10年という流れになっています。
期限が決められているわけですから、承継する方も覚悟はしますし、その為の行動もします。

−一番大変だったことは?
貴島:大変なことはたくさんあったと思うのですが覚えていないですね(笑)。
会社をより良くしながら繋げていかなくてはというプレッシャーはあります。
その覚悟はまだ自分では完璧にできていないのかな。考えなくてはいけない課題ですね。

−ご自身なりのビジョンというのは固まってきていますか?
貴島:後から会社に入ってきたのでは無く、起業時に堀切と一緒にビジョンを作って来たので、会社のビジョン自体に自分のビジョンも含まれているという感じです。
そう考えると目指しているものが同じ同士の事業承継なのでスムーズに行ったというのはあるかもしれませんね。
やっぱり事業を引き継ぐ時に一番大切なのはビジョンを受け継ぐというところだと思うので、そこが同じというのは大きかったかもしれない。
「想いを継ぐ」という意味では、次の社長への承継が本番の承継なのかもしれないですね。

取材を終えて

事業承継で大きなテーマになってくるのが企業ビジョンや経営理念のすり合わせ。
起業時から一緒にビジョンを作り上げてきたということもあって、一番企業に大切な部分が最初から揃っているという事は、スムーズな承継に一役買っていたようです。
事業承継で一番大切なことはという問いには「信頼関係ですね」とのこと。
企業を渡す人継ぐ人の信頼関係が普段からどれだけできているかというのは、当たり前のことですが一番難しい課題なのかもしれませんね。